いつだったかなぁ、忘れちゃったよ。




「初恋?」

夜一は聞き返した。
寮の喜助の部屋で茶を啜っているところだった。

「うん。いつだったかなって」

部屋の主喜助は、
だらりと座布団を高く積み上げたものにもたれている。
気だるい雰囲気は喜助そのものを連想させると夜一は思った。

「…別に思い出す必要もなかろう」

卓袱台の下で足の指を軽く動かす。
少し尖った爪が畳を引っかいた。
ざりり、と音がして夜一は下を向いた。

「思い出してどうする?」

破けてしまった畳を指先で弄る。
小さな穴を掘るように、畳を穿る。

「儂に妬かせようという魂胆か」

その穴が夜一自身の心の嫉妬心のように、
徐々に深くなる。
何気ない喜助の言葉だったが、不快感を覚えた。
穴を広げる。

「それともその女が今度の遊び相手におったのか」

穴は広がる。
二人だけの空間だった其処に段々と黒い染みが広がる。

「…喜助」

喜助は何も言わない。
予想外であろう夜一の反応に何を思っているのか。
夜一は何か言ってほしいと思った。
でも口には出さなかった。
小さなことに嫉妬する自分を恥ずかしく思った。
まるで生娘のようで、嫌だった。

「儂は」

「夜一サン」

急に口を開いた喜助に驚き、黙る。
下を向いていた視線を喜助に寄越す。
喜助はいつものヘラヘラした表情でこちらを見ていた。

「…何じゃ」

年上であるという余裕が消えうせた夜一を、
喜助は黙って見つめた。
口の端は上がっている。いつもの顔。

「夜一サン、可愛い」

にっこりと笑って言った。

「からかっておるのか」

全然。
喜助は言って夜一の隣までずるずると歩いた。
浅黒い夜一の肩に頭をもたれさせる。
重たいと夜一は言った。

「夜一サンだって、初恋はアタシじゃないでしょ」

当然の事を言われて、驚く。
何を言っているのだろうと夜一は喜助を見る。

「だから、御相子じゃないッスか。ねぇ?」

もたれかかるのをやめて、初めて向き合う。
どこかからくる苛々を、
その言葉だけでは抑える事ができなくて。

「儂が言っているのはそういう事ではない…」

でも何が言いたいのかわからない。
夜一は目をそらす。

「…アタシが愛してるのは後にも先にも夜一サンだけです」

頬を両手で包まれ、無理やり首を動かされる。
目が合った瞬間に喜助はそう言って真面目な顔をした。

「恋と愛は違います」

「喜…」

す、の発音をしようと唇を動かした瞬間に口付けられる。
軽く柔らかな接吻の後、もう一度夜一は口に出した。

「喜助…」

切ないやら苦しいやら嬉しいやらで、
納得のいかない夜一は唇を尖らせて下を向いた。
喜助はにこにこと笑っている。

「儂とて、それは同じ事じゃ」

だけど。
底無しに漏れてくる不満を口にするか迷う。
上手く言葉にはできない。
伝えたい事ほど伝わらないのだと夜一は思った。

「…わかった、もう過去のコトなんて言わないッスよ」

ぽんぽんと夜一の頭を軽く叩く。
まだまだ納得のいかないままで、考えるのも馬鹿馬鹿しくなった。
これ以上は、考えるだけ自分が鬱陶しいだけか。
夜一はため息を一つついて、諦めた。

「…うむ」

喜助にはいつもかなわない。
負けてやるのも大人かなと夜一は思った。
喜助にもたれて、目を閉じる。

「夜一サン」

「ん」

「何でもないッス」

肩に乗せられた頭に、少し喜助も寄りかかる。
体温が伝わってきて、暖かい。
言葉は全然伝わらぬのに。
夜一は考えながら息を吐いた。


あああ!(何) 本当は「初恋は夜一」っていう設定をいれたかったのにー! いや、無理があるかもしれませんが。 でもホラ、今までの女の子は遊びで、 夜一が初めてちゃんと心まで惚れられた人、みたいなね。 もー無理無理だー…。
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